アルジャーノンに花束を / ネタバレ『有り』で紹介します

もしも、天才になれる脳手術をタダで受けられるなら。
あなたは受けますか?
Y E S / N O
【警告】ここから先の内容には、物語の核心に触れるネタバレがあります。
それでも良い方のみお進みください。
こんにちは~イオリです!
今回は『アルジャーノンに花束を』ネタバレ有りで紹介したいと思います。
不朽のSF作品として有名な本書ですが、内容が心に直接訴えかけてくる描写が多く、最初のハードルは乗り越えたけど、「これ以上は無理…見ていられない…」とリタイアする人が続出する内容となっています。
この記事を読んでくれているあなたは
- 最後まで読んだので、ほかの人はどう感じたか知りたい
- 最後まで読めなかったので、結末だけ知りたい
どちらでしょうか?
どちらの方も最後まで楽しめるよう、私が感じたことを偽らず書かせていただきますので、どうぞ最後までよろしくお願いします。
それでは、ゆっくりバリバリいきましょう♪
知能の成長に対して、精神の成長が追いつけなかった悲劇
脳手術を受けたチャーリィは、ものすごい速さで知性を身につけていきます。
ですが、精神の成長が追いつかず、だんだんと周りを見下すようになり、彼本来の良さである『やさしさ』が無くなってしまいました。
頭が良くなり知識がつきましたが、使う為の知恵が足りなかった。
知恵は経験によって育まれるものなので、一朝一夕には手に入らないのです。
ここで少し想像してみてください。
あなたは今の知能のまま、小学生に戻りました。
当時の友だちたちと、そのまま友だちでいられますか?
知識と大人の考え方があるから、こちらが友だちに合わせてあげる必要があります。
それって楽しいですかね?
たぶんつまらなくて、友だちとして遊ぶことはできなくなるでしょう。
「(どうして私の言うことを分かってくれないんだ!)」
大人の知能のまま小学生になるなら、苛立ちは心の中に隠せますが、小学生がいきなり知能を得たら?

私の方が頭がいいんだから、素直に従いなよ?
なんで反抗するの?
もっと賢くなった方がいいよ?
うーん、不快感MAX苦笑
脳手術を受ける前のチャーリィには、友だちがいて、学ぶ楽しさがあって、毎日が幸せだと感じていました。
ですが手術後は、知識と引き換えに全てを失ったと言っても過言ではないでしょう。
ただ一人、アリス・キニアンだけが彼に最後まで辛抱強く寄り添ってくれていました。
知能が低下するにつれて、だんだんと卑屈になって行くチャーリィ。
この感じ、どこかで見たことあるぞ?と思ったら、「なんでわかんないんだよ!」現象でした。
「なんで分からないの?普通こうするよね?」
「周りの人は私のことを分かってくれない、周りの人は馬鹿ばかりだ。」
あなたの周りにもこんな人いませんか?
彼らが本当に欲しいものは理解者からの愛情です。
ですが、やることなすこと全てが理解者を遠ざけてしまいます。
「攻撃をやめて、周りの人にやさしくなれれば解決するのに…。」
彼らだって本当は分かっています、でもプライドが許さないのです。
一度でも、自分が下だと認めてしまうと、これまで積み上げてきたものが全て崩れ去る気がして、つい嘘をついてしまっているのです。
賢くなったチャーリィが本当に欲しかったものは何だったのか?
私は『愛情』だと思います。

私もあなたも心の中にはチャーリィがいる
好きな人に気に入られたいからおどけてみたり、自分の方が賢いと思うから他人を見下す。
でも本心は『愛情』が欲しい、誰かに『認められたい』、人である限り他人無しでは生きられないのです。
心の中のチャーリィは、あなたになんて言っていますか?
「ひとにやさしくしましょう」ですか?
「ライバルは全員蹴落とせ」でしょうか?
どちらであってもあなたの本心に変わりはありません。
大切なのは、なりたい自分・目標の自分が思い描けているなら、言動を一致させることです。
愛情が欲しいなら、まずは周りの人に愛情をあげましょう。

心から欲しいものなのに、先にあげなくちゃいけないなんて…。
なんだか損してる気分だ。
そう感じるのは当たり前です。
人は何かを得たときよりも、失ったときの方が悲しみが大きいそうです。
チャーリィは知識を得て本当に幸せだったのでしょうか?
私としては、アリス・キニアンと心が通じ合ったとき以外、幸せを感じる場面はなかったように思います。
チャーリィはアリスを愛し、アリスもチャーリィを愛した。
お互いに心から欲しいものを差し出したから、この瞬間だけは幸せになれたのだと私は感じました。
人を惹きつけてやまない理由
なぜ、『アルジャーノンに花束を』は世代を超えて、ブームし続けるのか?
それは物語にリアリティがあるからだと思います。
前情報を入れずに最初のページを開いたとき、あなたは何を感じましたか?

うわ、なんだこれ…。
ひらがなだらけで読みづらいな笑
こんな感じではなかったでしょうか?
そして手術が終わり段々と知性が増していく様子が、文章で分かりやすく表現されていましたね。
ひらがな表記と誤字が減り、嫌なことには嫌と言うチャーリィを見ていると、「おぉ…ちゃんと賢くなってる!」と共感を覚えます。
ですが、頭が良くなりすぎた辺りから読者を置いてけぼりにしてしまいます。
「頭がいいから正論ばっか言って、嫌なやつだな!」と感じた人もいるでしょう。
アルジャーノンが怒りっぽくなり、段々と弱っていく様を見て、いずれ自分もそうなることを悟るチャーリィ。
心から通じ合える相手を見つけ幸せを掴むも、手術の効果が切れて段々と怒りっぽくなっていく中、文章も段々と読みづらくなり、最後は手術前の状態に戻ってしまいます。
あまりにもリアルにチャーリィの人生を追体験してきた私たちは、またしてもチャーリィに置いてかれてしまいます。
「チャーリィ賢くなれてよかったね!」
「頭がいいのは分かったけど、もう少し言い方があるよね…?」
「あぁ、愛と幸せを見つけられたんだね。」
「怒りっぽくなったけど、私たちはあなたがどんな人か、ちゃんとわかってるよ。」
「…おかえり、チャーリィ。」
チャーリィを失った私たちの悲しみは思っているよりも大きいのです。
おわり
いかがだったでしょうか?
脳手術を受けたアルジャーノンは、ほかのネズミよりも短命でした。
おそらくチャーリィも…寿命が迫っていると考えられますね。
そう考えると最後の一文の意味は
『私(チャーリィ)のお墓参りの時に、アルジャーノンにも花束を添えてあげてください』という意味になるのではないでしょうか?
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
最後の一文
「どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。」